永吉佑也の現在は3×3にも挑戦!結婚や高校・大学までwiki風プロフィール紹介!

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京都ハンナリーズの永吉佑也選手。

永吉選手もジャカルタでの不祥事を起こし、2019年4月に復帰した4人の選手の1人です。

再起をかけて動き出した永吉佑也選手。

そこで今回は『永吉佑也の現在は3×3にも挑戦!結婚や高校・大学までwiki風プロフィール紹介!』をテーマにお届けします。

どうぞ最後までお付き合いください。

永吉佑也は3×3にも挑戦!

2019年4月に復帰し、その後6月に、3×3.EXE PREMIER 2019に参戦するKYOTO BB.EXEに契約基本合意しています。

3×3では”理解する”がテーマであるようで、「まだ30%ぐらい」の理解力であると取材で語ってきます。

「まだまだ勉強不足だと思います。

ここで勉強して帰っても、結局Bリーグに戻ると基本は覚えていても応用の部分は忘れていました。

セットプレーを何個も応用するような練習は、パっとは身体が動かない。

これはやり込まないといけない部分なので、そこの難しさはBリーガー、そして3×3の代表としての両立の部分で一番苦しんでいるところです」

と取材で語っています。

198cmという高身長を活かし、3ポイントシュートも高確率であげてきています。

リーグ戦や3×3の代表合宿と多忙な日々の中、今以上に3×3に適応することができれば、日本にとっても強みになることは間違いありません。

選手選考は熾烈な争いとなるが、試合のメダル獲得のためにも永吉佑也選手(以下、永吉選手)の成長は鍵となるはずです。

永吉佑也の彼女や結婚は?

さて、永吉選手ですが、結婚はしていない様子ですね。


(https://bit.ly/36RTMJ3)


(https://bit.ly/2RU2SAP)

一人暮らしで遠征が多いとなると、ペットを飼うのも彼女を作るのも大変そうですよね。

また不祥事もあったこともありますので、もし彼女さんがいたら居たたまれないですよね。

TwitterやInstagramなどのSNSをしていない様子なので様子はわかりませんが、今は3×3にも力を注いでいます。

彼女さんはいないか、かなり献身的に支えてくれている人がいるのかもしれませんね。

プロの選手も大変ですよね。

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永吉佑也の中学や高校・大学は?


(https://bit.ly/2toXigd)

鹿児島県出身の永吉選手。

高校時代にバスケをやっていたお父様がキッカケになり、小学校3年生でミニバスを始めたそうです。

当時の先生は「センターばっかりやっていたら、中学や高校で通用しなくなるよ」という考えで指導してくれたそうです。

色んなポジションでのゲームメイクを経験した永吉選手。

ゴール下の動きだけじゃなくボールハンドリングの練習も行い、“大きいだけ”の選手ではなかった小学生時代。

小学校6年の時に九州大会に行って、中学ではレベルの高いチームでやりたいと思い、コーチをやっていた先生に教えてもらいたくて校区へ引っ越ししたほどでした。

中学は、鹿児島市立緑丘中学校へ進学します。

在校時の2005年と2006年、ジュニアオールスターに2年連続で出場しています。

思春期時代は多少のとがりもあったようですが、「バスケのために」と自分自身をコントロールしていたそうです。

「バスケのために引っ越して、その中学校に入れてもらったんだから、親に対してもちゃんとバスケでもっと頑張る姿を見せなきゃいけないという思いもありました。」

と、当時を振り返っている取材もありました。

中学のときはもう「高校でどうするか」を考えていて、高校のときは大学のことを考えていたそうです。

高校は延岡学園高校に進学し、1年生時より全国大会出場。

3年次のインターハイでは、決勝で福岡第一に僅差で敗れて準優勝という結果をなし得ています。

当時の先生は人間性の部分にもかなり注意されたようで、人間性もバスケの考え方も高校時代で変わったそうです。

「ディフェンスに対する考え方の部分で大きな影響を受けました。

常々プレッシャーを掛けろと言うんですが、勝負どころでもう1つ2つギアを上げるとか、今でも勉強になっています。」

高校では身体をとにかく鍛えていたそうです。

延岡学園高校の伝統でもあるようで、メニューを教えてくれるストレングスコーチもいて、ウエイトトレーニングにも力を入れていたそうです。

大学は青山学院大学に進学し、2012年全日本大学選手権優勝などに貢献しています。

「大学時代で一番強く記憶に残っているのが、張本天傑との練習でのやり合いです。

同級生なんですけど、マッチアップとか1対1の練習で相手になることが多くて、そうするとお互いにユニフォームは引っ張るわ、顔面にラリアットを喰らわすわ、腹にパンチを入れたりで。やられたらやり返すじゃないですけど、トガった自分が戻って来て(笑)。

どちらも負けず嫌いで面白かったです。」

と、同級生とのマッチアップ対決のことも取材で語っており、いまでも良きライバルのようです。

学生時代を通し、どちらかと言えばチームをひっぱるタイプだった永吉選手。

「本当のリーダーシップを持っている人は嫌われることを恐れていないな、と。

誰よりも努力していて、チーム全員がそのことを知っていれば、厳しい言葉でも受け入れられます。

だから誰よりも自分に厳しく努力して、そして嫌われることを恐れないでほしいです。」

と、キャプテンシーも語っていました。

張本天傑選手についてはこちらをどうぞ↓
張本天傑の彼女や中学は?日本に帰化した選手のプレースタイル・素顔は?

ジャカルタでの不祥事

そんな永吉選手ですが、1度不祥事を起こしています。

ジャカルタ・アジア大会のバスケットボール男子日本代表4選手が、買春行為で代表認定を取り消されました。

そのうちの1人が永吉選手だったのです。

「JAPAN」のロゴが入った公式ウエアを着用した4人は、ジャカルタ市内での食事後に繁華街で4、5人の現地女性に買春を持ち掛けられ、金銭交渉を行った。

当時の叩かれぶりは相当なものでした。

頭を丸めて再スタートを切った永吉選手は、バスケットボールができなかった時期で自身と向き合った様子です。

「ただゴミを拾えば、それが社会奉仕なんだろうか」

そういう問いにも至ったそうです。

しかし、一方で社会奉仕活動が生き甲斐になっていたようで、次のようなコメントもしています

「多くの人と関わりの中で死にたくなるような気分になる、ヤバい時期も正直あったけれども、明日への希望を持てたからこそ、辛い時期を乗り越えられた」

今後は、選手としてのレベルアップはもちろん、子どもの憧れる選手になれるように頑張りたいと意思表示をしている永吉選手。

応援していきたいですよね。

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永吉佑也プロフィール

ではプロフィールの紹介です。


(https://bit.ly/2RUPZGo)

名前:永吉 佑也(ながよし ゆうや)
コートネーム:ごっつぁん、よっさん、ナガ、冷蔵庫
生年月日:1991年7月14日(28歳)
身長:198cm
体重:115kg
出身地:鹿児島県
出身校:鹿児島市立緑丘中学校→延岡学園高校→青山学院大学
所属チーム:東芝ブレイブサンダース神奈川(2014-2016)→川崎ブレイブサンダー(2016-2017)→京都ハンナリーズ(2017-)→京都ハンナリーズ・KYOTO BB.EXE (3×3)(2018-)
ポジション:パワーフォワード/センター

日本代表歴:
2008年 U-18日本代表
2011年 ユニバーシアード日本代表。
2012年 ウィリアム・ジョーンズカップ日本代表、FIBAアジアカップ 追加招集
2013年 東アジア選手権で3位。
2017年 東アジア選手権で3位。
2018年 第18回アジア競技大会 日本代表

2014年4月、東芝ブレイブサンダース神奈川に加入、2016年9月にチームがプロ化し「川崎ブレイブサンダース」が発足、併せてプロ契約しました。

2017年6月に京都ハンナリーズへ移籍します。

2018年8月、ジャカルタでの第18回アジア競技大会の期間中に不祥事を起こしてしまい、2018年8月29日~2019年8月28日の1年の間、公式試合への出場権を剥奪され、出場停止期間中の社会奉仕活動への無期限従事の処分が科せられました。

2019年4月11日に処分が解除され、復帰しました。

ではNo.43に注目してプレーをご覧ください。

まとめ

・3×3にも挑戦中

・彼女はいなく一人暮らしの様子

・小学3年でバスケを始め、バスケの強豪校を渡り結果を残してきている

・ジャカルタでの第18回アジア競技大会の期間中の問題行動により、出場停止期間中の社会奉仕活動への無期限従事の処分となる

・2019年4月に復帰となる

1つの過ちでも失うものは多いものですが、再起をかけている人に対しネガティブなコメントはできないものです。

3×3にもチャレンジし、日本代表への復帰を狙っている永吉選手。

3人制のチャレンジは必ずや5人制にも活きてくることを祈っています。

今後の永吉選手の活躍に期待したいですよね!!

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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