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2019年3月に惜しまれつつ引退をした、リオデジャネイロオリンピック女子日本代表主将の吉田亜沙美選手。
日本代表を牽引した中心的メンバーの1人でしたよね。
しかし、2019年9月2日に引退撤回をし、日本代表復帰宣言をしました。
これは女子日本代表にとっては朗報であり、熾烈な代表争いの再熱になりそうな予感がしますね。
そこで今回は『吉田亜沙美は結婚してる?姉もバスケ選手だった?!高校などwiki風プロフィール紹介!』をテーマにお届けします。
どうぞ最後までお付き合いください。
吉田亜沙美の彼氏や結婚は?
(https://bit.ly/2lvs2YF)
なかなか情報があがってきませんでした。
とある取材では、こう答えています。
「私は「1番楽しい時間は甥っこと遊んでるとき」と答えるぐらい子どもが大好きで、いつか子どもは欲しいなあとは思いますが、結婚はまだピンとこないし、あこがれみたいなものもないですね。」
2019年3月時点の取材なので、結婚はまだのようですね。
加えて、これから10月開幕に向けたWリーグの練習を再開するとなれば、やはり恋人や結婚は二の次になりそうな予感もします。
しかし、甥っ子への愛情は深いようでTwitterにもいくつか情報をあげている様子から、子ども好きなので良いママになりそうな予感もしますね。
バスケを始めたのは姉の影響
両親ともにバスケ経験者であり、父のクラブチームへ家族そろって赴いていたことが最初のキッカケのようです。
両親の下で姉がミニバスケットを始めると、姉のマネをするのが大好きだった当時の吉田亜沙美選手(以下、吉田選手)も、姉のマネをするようにバスケットを始めたそうです。
姉の沙織(現在は上吹越 沙織)選手の影響で始めたのですね。
姉の存在は偉大なようで、尊敬する人と問われると姉の名前を口にするそうです。
理由は1つ、「努力し続ける姿勢をみてきたから」とのこと。
ケンカの絶えない吉田姉妹でしたが、妹の吉田選手は、しっかり姉の沙織選手の背中を見ていたのですね。
取材ではこうも語っています。
「姉が出ている試合を始めて見に行った時、高校からWリーグに進む私は、姉以上に努力をしないと通用しないなと改めて思いました。
その時に姉が付けていた背番号が6番。だから姉の倍頑張るという意味で(JX-ENEOSでの)背番号を12にしたんです」
(https://bit.ly/2k58cDm)
姉の2倍頑張るという姿は、いつしか女子日本代表の選手の憧れともなるようになりました。
吉田亜沙美選手を慕い、尊敬する後輩がたくさんいるのも頷けますね。
吉田亜沙美のバッシュは?
吉田姉妹クリニック
地元でやらせて頂きました〜
結構、前ですが…笑 pic.twitter.com/AnSZvcumEP
— YOSHIDA ASAMI (@12__YOSHIDA) 2019年8月16日
最近のTwitterの投稿写真ですが、どうやらNIKEを愛用しているようですね。
NIKE様
長い間、大変お世話になりました‼︎
ありがとうございました‼︎ pic.twitter.com/t4kbWzUBOL
— YOSHIDA ASAMI (@12__YOSHIDA) 2019年7月5日
これは、卒業したときのバッシュでしょうか?
こちらもNIKEですね。
バスケの姿が10月からまた見られるので、バッシュにも注目していきたいですよね。
吉田亜沙美プロフィール
(https://bit.ly/2lwXtC2)
名前:吉田 亜沙美(よしだ あさみ)
コートネーム:リュウ(流)
生年月日:1987年10月9日(31歳)
身長:165cm
出身地:東京都
出身校:東京成徳中学校→東京成徳高等学校
所属チーム:JXサンフラワーズ(2016-2019)(2019-)
ポジション:ポイントガード
中学は、姉の影響で東京成徳中学校へ入学します。
そのとき、姉の沙織選手は東京成徳の高校生。
中学高校合同練習時には、顔を合わせても学校でもケンカしていたそうです。
かわいらしいエピソードですよね。
しかし、記録はすごく中学時代2000年、2001年と全中で優勝。
高校では、1年生時からスタメンで出場しており、3年次には主将を務めます。
インターハイと国体で優勝、ウィンターカップでは、準々決勝で優勝した中村学園女子高校と対戦するも大接戦の末に敗れたそうです。
その後、社会人に入り1年目から主力として活躍し、2006-07シーズンルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
Wリーグ獲得タイトルはプレーオフMVP5回、レギュラーシーズンMVP1回、ベスト5・5回、アシスト4回、スティール1回、新人王、ベスト6thマン1回と、かなりの数ですよね。
日本代表でも高校3年次の2005年東アジア競技大会、高校生で唯一選出されています。
2006年、U-20アジア選手権で準優勝しU-21世界選手権出場、銅メダル。
2007年6月、アジア選手権で銅メダル
2008年6月、北京オリンピック世界最終予選に出場するも出場権得られず。
2009年より代表の主力選手となり、毎回日本代表に呼ばれ、リオデジャネイロオリンピックでは代表主将としてチームを牽引しました。
ではプレーをご覧ください。
気迫あふれ、変幻自在なパス回し、シュートの確率も素晴らしいものですね。
まとめ
・恋人は、いまはいない様子(?)
・背番号は、姉(No.6)の倍頑張るという理由でNo.12
・バッシュはNIKEがお気に入り
・家族の影響でバスケを始めて姉を尊敬し、がむしゃらにバスケを続けた結果、多くのタイトルを獲得
まさにレジェンドと呼ばれるにふさわしい吉田選手。
天性のバスケ少女のようですが、努力を惜しまない姿があったからこそ成しえた今の地位だと思います。
2009年の女子アジア選手権(現女子アジアカップ)ではガードながら大会のリバウンド王、翌年にはアシスト王に輝いているところをみると、ひたむきにバスケと向き合って、練習を積み重ねた結果が出ているなと感じました。
このレジェンドの返り咲きが、期待ともに女子日本代表争いに良いいみで発破をかける一因になりそうですね。
今後の吉田亜沙美選手に期待したいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。