田中圭のバスケの実力は全国優勝レベル!経歴にポジションも詳しく!

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トライストーン・エンタテイメント所属の俳優「田中圭」さん!

多数のメディアに出演してはイケメンと称され、数々の賞も受賞されていますよね。

そんな田中圭さんについて、

マイケル
マイケル

バスケの実力は全国優勝レベル?経歴にポジションも詳しく知りたい!

なんて疑問をお持ちのアナタのために、田中圭さんのバスケの実力に経験、ポジションについても調査・まとめました!

田中圭のバスケの実力は全国優勝レベル!

田中圭(以下、田中)さんはバスケットボールを特技としていますが、バスケを始めたのは小学1年生の6歳の時。

NBA好きのお母さんの影響だったようですが、その実力は全国レベル!

小学4年生から6年生までの3年間はYMCAのクラブチームにいたようで、その時に全国大会で優勝しています!

スポーツ報知でのインタビューでは、

「とにかく運動量が多いタイプ。必然的に得点も多くなるので、『点取り屋』みたいな感じでした。チームでやるスポーツだっていうのも性に合っていたんだと思います」

と懐かしみながら話していました。

ちなみに、20代のころには知人のクラブチームの練習に定期的に参加し、当時10代だった日本代表でBリーグ千葉の富樫勇樹さんとともに汗を流したそうですが、回転をかけたゴロみたいなパスを出して、田中さんをおちょくるそうです。笑

また、CMではプロバスケットボール選手の八村塁さんとも共演されていましたね!

田中圭のバスケの経歴は?

バスケの経歴としては、小学1年生の時にNBA好きのお母さんの影響でバスケを始め、高校1年生までの10年間続けていたそうで、小学4年生から6年生まではYMCAのクラブチームに所属し、全国大会で優勝。

また、小学6年生がスタメンを張る中、田中さんは小学4年生の時から1人スタメンでした。

スゴイですね!

そして、中学生に上がるころには、お母さんに「高校受験があるとバスケが出来ないから」と中学受験をさせてもらい、中高一貫の「渋谷教育学園幕張中学校・高等学校」に入学。

プロの選手になるのを夢見ていたそうです。

ちなみに、渋谷教育学園幕張中学校・高等学校は偏差値が76とかなりレベルが高く、田中さんはかなり頭がいいのが分かりますね。

そこで勉強とバスケの掛け持ちをしていたそうですが、高校1年生の時に靭帯を傷める怪我を負い、しばらくはバスケットボールから離れ、やる事と目標を見失っていたときに芸能界のオーディションを受けたそうです。

それから、バスケから離れ10年くらい経った時に一回り上くらいの友達ができ、その人がバスケのチームを持っていたことから毎週そこで練習するようになりました。

1回だけですが区の大会にも出場したり、10年ぶりくらいにバスケをやる環境になったそうです。

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田中圭のポジションと背番号は?

ポジションは基本シューティングガードで、背番号は「8番」をずっとつけていたそうです。

ずっと背番号が8番だった理由は、ミルウォーキー出身のNBA選手でゴールデンステート・ウォリアーズ、ニューヨーク・ニックス、ミネソタ・ティンバーウルブズでプレーしていた、「ラトレル・フォンテーン・スプリーウェル」さんが背番号8番だったからで、決まったチームを応援していたわけでもなく、唯一ひいきで見ていた選手だったそうです。

ちなみに、ラトレル・スプリーウェルさんはプレーオフであんまり勝ち上がれなく、セミファイナルとかで負けていたんだとか。

田中さんは「負けちゃってスプリーウェルが、ボールを叩きつけている姿をよく覚えています。」と話されていました。

まとめ

・NBA好きのお母さんの影響でバスケを始めた。

・YMCAのクラブチームで全国大会優勝

・小学4年生からスタメン

・中高一貫の「渋谷教育学園幕張中学校・高等学校」に入学

・シューティングガード

・背番号は8番

今回は、田中圭さんについて以上のことが分かりました!

田中さんは、怪我でバスケから離れてからも、ずっとバスケが大好きで今でも仲間内でプレーしています。

大人になってもスポーツを続けれるのっていいですよね。

これからもバスケに、俳優も頑張っている田中さんを応援していきたいですね!

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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